屋台通りプロジェクト

高崎田町屋台通り 中山道恋文横丁

旧中山道沿い、高崎市中心市街地のはずれにある300坪の未利用地に、3坪の独立ネオ屋台的店舗を20軒設え、コの字型のカウンター(8〜9席)で店主を囲み、隣り合わせた客同士にコミュニケーションが生まれる。

そんなネオ屋台村的”装置”をまちと人の新たな結節点として、『まちなかとまちそと』『人と人』の関係性を紡ぎ直すプロジェクト。

未利用のまま数年放置されていた関係性ゼロの場所に、年間15万人(ピーク時)が訪れるようになったことでこの場所のポテンシャルの高さをあらためて知らしめることができ、駅から徒歩15分という場所に置いた事で、その間のエリアの賑わいも創出、仕事や雇用の創出、そして近隣商店街やシャッター通りの出店誘致につながった。

[出店・独立情報](2009.21-2015.12)
総出店舗数 39店
独立店舗数 14店

[中心市街地の空き店舗数の変化(2007-2015)
(2007年)200店舗以上→(20015年)24店舗
*空き店舗数120軒(2007行政調査)民間情報を含めると200店舗以上

[土地の評価額](2009.21-2018.10)
(2008年)約4,000万円→(2018年)2億4,000万円(500%↑)

シャッター商店街、空き店舗、未活用地で溢れる空洞化した中心市街地に、地域の食とコミュニケーションの場を市民自らが創り出し、懐古主義では無い新たな賑わいと人の坩堝(るつぼ)を生み出し育むことで地域を豊かにすることを目的としたこのプロジェクトは、地元青年団体などに所属する当時30代の7人が事業を企画し『民間による公共事業』という位置づけ広く地域の人々に参画を呼びかけ、民間のみで約3,500万円の出資を集めた。しののめ信用金庫も出資者員として参画し、新規設立法人に対して地域金融機関が出資参画するという当時例を見ない取り組みは全国の自治体に紹介された。

もう一つ、地域ビジネスの”孵化装置”としての役割を持ち、多くの起業を促した。

まちを元気にしたいと望むプレイヤーを巻き込み、ついでに行く場所ではなく、わざわざ行く”目的地”を出現させ、高崎の地で起業したい人を支援し、まちに賑わいと関係性を紡いでいった。

地元高崎はじめ群馬県内の旬の食材をふんだんに使った料理や地酒をはじめ、場所文化で交流のあった全国各地の食材を楽しめる場所。大学生が運営する学生屋台、サッカーワールドカップ公式パブリックビューイング、縁日、ライブ、マルシェなど様々な催しを開催。連動するすもの食堂ではまちそとの食材を近隣住民に届ける役割も担った。

東日本大震災後には”あつまろう高崎”を起点に”ハッピーレストラン”や”ハレの日食堂”など震災がきっかけで出会った人々が食を通して交流し、共に復興を目指す結節点にもなった。また、復興気仙沼屋台の出張店舗を誘致、復興まちづくりのための福島県南相馬市の視察受入等も実施。

その他、全国の自治体、まちづくり会社、JFL(日本サッカー協会)のコミュニティカレッジ研修プログラムなど多数の視察研修などの受入、コーディネートを行う。

2015年に土地所有者が敷地売却、更地での返還を求められ一旦休業、2016年に新たな所有者との合意のもとまちなかBBQフィールド(Takasaki Field Bauquet BBQ PEOPLE)として再始動するも2年後の2018年に一連の事業を終了。現在は解散済。

プロジェクト名 高崎田町屋台通り 中山道恋文横丁 プロジェクト
プロジェクト主体 LLP高崎田町屋台通り
動員数 15万人/年
日時/期間 2009年12月〜2015年12月
開催場所 高崎市田町93-2
後援・協力 しののめ信用金庫・メジロスタジオ(建築設計)
関係者 LLP高崎田町屋台通り・場所文化フォーラム
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2009年 完成当時の屋台の様子 設計:メジロスタジオ